「ブ」の骨頂

中学校教師から人材系ベンチャー、IT系採用担当へと転職した或る男の人生

SUP初体験

先日SUP初体験してきました。

葉山のほうで。

 

薄日のさす、まあまあな日和でした。

体験は8人でやりまして、男性は私だけ。

場違いもいいところだなと思いつつ、きっかけがないと参加しないだろうなと思い切っているわけです。

 

水着さえ持っていけば良い事業者さんでして、スウェットスーツとかは全部用意してくださいます。まずは着替え。なかなか締め付けるもんなんですね、スウェットスーツって。サイズあってるの?って思いながらねじ込みます。

 

そのあと諸説明があって、砂浜へ。すぐ砂浜なので移動はめんどくさくありません。

 

最初に準備運動かねて砂浜でヨガ。

しんどい。

女子がやるもんだと思っているからしんどい。

あ、体力的にも精神的にもしんどい。

 

女7人男1人、しんどい。

 

全然体曲がらんし手届かんしってやつでけっこうつらかったですが20分程度でしょうか、やったのは。

 

そのあと、シューズをはいて、いよいよボードへ。

大学生のインストラクターがいろいろと説明してくれます。立つときは内またで、足が外向きだとボードがゆれて落ちちゃいます。パドルは腕の力でなくて体全体でこぐことを覚えて帰ってください。右へ行きたかったら左をこいでとか、左へ行きたかったらetc、止まりたかったらどーのこーの、コタロウ(インストラクターの名前)のいうことを聞けだのあーだこーだ、ワーキングメモリの容量が少ない私には指示がまったく入ってきませんw

 

で、早速海に出てボードにのって膝をついて座ってみます。

 

おお、けっこう乗れるもんだな。

 

ちょっと一寸法師的にパドルを漕いでみます。

ああ、なるほど。

 

その間にも周りの女子たちは立っていきます。

 

なんやあいつらは。スッと立ちやがって。

 

立ってみるか。ということで立ってみた。

 

 

、、、おっ、立てたよ。

 

 

いいやん。

 

 

そうしているうちにコタロウは先のほうに進んでいきます。女子たちもそれに続いて。自分は一番最後。

 

追いつきたいなと思いながら進んでいきます。

 

そして、護岸ブロックの近くまできてコタロウが

「ここ河口で海に出ると風が強いので川のほうへ行きましょう」

と急に270度転換しろと言ってきます。

 

コタロウの指示に応える女子たち。

 

一方、私は流される。

 

でも女子たちには負けてられない。

 

 

うー、くそー

 

 

あー

 

おおお

 

 

わっ

 

 

どぼーん

 

 

やべえ死ぬ

あ、でもすぐ浮くって言ってた

 

ということで浮いてきて、コタロウにダメだしされる

 

おにいさんは直立で立っていてこぐ力も弱いから流されるんです、方向転換のときは右にぐっと入れるんですよ

 

うるさい、一気に言うな

 

と思いながらボードにのぼってもう一回座ってからのやり直し。

 

そのあとはコタロウ+女子3人、と、私、の2組で終始進んでいきました。。。

 

なんであんなに女子は涼しい顔で立ってこいでいられるのか。。。

こっちは一生懸命うちまたにして膝もまげてやってるのにまた転覆しそうになってボートにダイレクトで沈み込む。

 

そのあとは座りながら砂浜まで戻ってきました。

もう苦行でしたね。必死。帰りたい一心です。

 

最後のコタロウからの話のときは、私には一切目を合わせてもらえませんでしたw

 

いやなんでやねん、こっちが合わせへんのならまだしも

出来の悪い生徒は切り捨てんのか!!

 

みたいな心境ですね。

 

まぁでも久しぶりにまわりと違って自分は何もかもうまくいかない感じになったので、そのときの自分の受け入れられなさが、もうちょっといろいろチャレンジせんといかんなぁ幅の狭いやつになるなぁ、と思った次第。

久しぶりに日記を書く

 過去の日記を見るといろいろと思い出しますよね。

いろいろ考えていたなとか。

全力で走っていたなとか。

 

自分は明確な目標を持っていたら、それに向かってまっしぐらに走れるんだけれども、それがないと、何をしたらいいのやらウロチョロしてしまうタイプだということがよくわかりました。

 

そう、この前東大の院を受験しましたが、久しぶりに3カ月ぐらい根詰めて勉強しました。ダメでしたけど。

 

そこから、急に何もしない休日になって、でも何を勉強するわけでもなく、ただ野に放たれた猫のように、そう、猫なので、もとからあっちこっちうろちょろとしてたんですが、それでも一応家の中にいて、おとなしくしてたんですが、目の前に出てくる虫をつかまえようとしてみたり、しなかったり。

 

もう歳も歳なので、ちゃんと地に足をつけたことを考えなきゃいけないのでしょうが、仕事も仕事な感じで進めているし。自分の興味のある範囲に入ってこないと全く力を発揮しないというのも終わっていますよね。

 

自分で調整しなきゃなと思うんですが。

 

この歳にして不思議な感覚にも襲われました。

 

え、なにしてるんやろ。今。でもどっかでうれしくてたのしくて。でも、またどっかで、そんなことになるとも思っていなくて。でも、またどっかではずっと望んでいたことだったりして。でも、なんかどこか裏切られた感じもして。でも、やっぱり、また。

 

気持ちが何重にも一瞬のうちに重なり合う感じ。

 

初めての感覚。

 

こうやって言葉にするにも10日ぐらいかかりました。

受け入れるのにも時間かかるんだなって。

 

苦しいような楽しいような心地いいような。

 

ブログを再開するのにそんなことがあったんです。

 

自分の中では学生時代以来の大きなこと。

だから、読みましたよね、過去ブログ。

 

過去の自分から詰められないようにしないといけません。

存在を許されなくなった他の自分から逆襲されないように。

広告のむなしさ

宅ふぁいる便を使っていて、ダウンロード後に出てくるポップアップの化粧品の広告を見て、いったいこれは誰に向けて広告してるんやろうと虚しさを感じました。

広告主はこのタイミングでここに広告出すことを期待しているんやろうか。

そしてそれにお金を払うことに納得しているんやろうか。

そう考えたときに、けっこう無駄な広告って多いなと。

電車の中で見かけた DODA転職フェア。

中田敦彦が講演するって、ぜったい転職に役立たないし。

小室哲哉が、強みは一つだけじゃなくて二つ必要とか言っても、そんなん説得力ないし、みんな言っていることだし。

転職つながりでいくと、転職サイトに登録すると来るスカウトメール。

ただのDMだし、「スカウト」の意味わかってます?って感じ。まして「オファー」します、とかむなしく響くだけ。

松屋のプレミアム牛めしとか、注文したら「並一丁」っていわれるし。

プレミアムどこ行った?

 

話を戻しますが。

 

世の中、広告というか仲介というか、マッチングを生業にしている人がかなり多い気がしていて、昔はひとりひとりが自分の手で生産していたものが、生産しなくてもよくなった結果としてできた現象で、同じように今後人工知能で仕事がなくなるなんて言われているけれど、結局仕事がなくなった人たちが自分たちで何とかお金を得て生きていけるようなビジネスを作ってやっていくにちがいないと、そう思ったりするわけです。

一方で、オファー、スカウト、プレミアム、本物、手作り、○○さんの、みたいな言葉は巡り巡って使われて一般人の心をつかもうとしながら、そこに嫌気を感じて離れていく人もいるんだろうと思います。

そういった人たちに本当に何か残せるのは、仲介とかマッチングではなく、直接影響を与えるサービスなのではないかと。

 

何が言いたいかというと、今はやっている新卒向けのオファーボックスみたいなサービスも、次第にすたれてきて、また別の本質的な解決に至らないサービスが出てきて、結局既存の盤の広さでアタック25をやっているかのごとく、の繰り返し。でも、そもそも盤を広げたり、盤を変えたりしましょうよ、というのが本質的な解決に至るサービスであり、直接影響を与えるサービスなのだろうと。そういったものにかかわる人生でありたいし、携わってみたいと思ったのでした。

謎めくアドバイス

人の話を聞いていて、だいたい素直に聞いてしまう性分です。

ですが、たまには「?」と思ってしまうアドバイスもありまして。

 

それは

「起業するつもりやったら〇〇さんと名刺交換しておいたほうがいいよ」

というやつです。

 

一回いわれたときは「あぁ、そうか」ぐらいに思いましたが、

そもそもを考えると、

起業が好きな人とか、起業ありきの人とかみたいな、

起業が「ゴール」な人であったり、

ゴールがはっきり定まっていて、そのための手段として

起業があることが見えている人であれば、

言っていることはわかるんです。

 

でもそんな人、多くないと思うんですよね。

 

というか、

そこまではっきりしている人は言われる前に動いているだろうし、

動いてなければ起業なんてできないだろうし。

 

このアドバイス、

誰にとって効果ばつぐんなのだろうか、

と引っかかるのです。

キャリアを描けない理由

JRで東京経済大学の下記広告を見て思ったのですが。

 

①これは東大の進振りと形式は同じ

②おそらく目的意識がない学生が多くて大学も困っている

③そもそも大学って目的意識なく行くものではないと思う。昔どうだったかというと「もっと勉強したい」のレール上に大学があったはず

④勉強するという動機には、ひとつには生活に関してそれまで経験してきた強い劣等感なり違和感なり負の感情があって、その反動で動機形成するものだと思うが、きっとそれはない。そしてそれがある家庭は経済格差によって高等教育を受けられない。

⑤では生活以外のなにかしら経験を経て勉強にモチベーションを持っているかというと、それもなさそう。自らの体験として経験することが多くなく、ほとんどがネットなどの2次情報のみで知る。経験していたとしても、多くが自分の興味ではなく与えられるもので、吸収率も悪い。その経験を意味づけすることが難しい。

⑥かくして「普通に生活できる」以上の家庭の子は周囲がそうするように、そして親がそういうように、大学まで進んで、自由度が上がって自分で選択できるようになった時に困る。

⑦それには、大学入学までにあまりにも選択する経験が少ないのも一つあるかもしれない。

 

www.tku.ac.jp

世の中のシステムは実は数種類のパターンでできている

のではないかとふと思いました。

 

70年周期で変革が起こっているという説があるらしいですが(神田昌典氏)、ぐるぐる変わるという話は、地形輪廻だったりオセロの一連の流れだったり(最初は陣をとれるだけ取っていくがそのうち置くところがなくなってきてニッチな攻め方になってたまにどんでんがえしがあるけれど最終的にはマスの数は決まっているので収斂していく)いろいろなところで同じ状況があると思います。

 

話は変わって派遣にしても、直接やり取りせずに仲介する会社なり人なりがいて、成り立っているというのは、まるで花の受粉の過程のようで。

 

もちろん進化の過程での弱肉強食のようなところはいわずもがな。

 

自然界での(あるいは人間を含めた歴史での)システムから学べることはまだまだたくさんありそうです。

 

と考えたときに、今やっていることが将来の何に役立つかなんて、わかるはずがないのに、今から綿密な計画を立てることが微妙だと思うし、むしろ一見無関係に思えるキャリアを積むほうが、ゆくゆく面白い人物になれる可能性を秘めているんじゃないかと思ったりもするのです。

「最高のチーム」の作り方

2016年日ハムが日本一になって、個々の選手もさることながら、栗山監督の考えにも興味があって(学芸大学出身だし)、購入した一冊。

 

勝つために、はまらなければならない手を打った

「勝つ」というゴールを設定し、そこに至るにはどういう状況にならないといけないか、逆算して日本一を手繰り寄せた、という話です。決して「はまったから勝った」のではない、と本書では言及しています。当たり前ではあるが、言葉にして普通に出てくるかというと、習慣づいていないと難しいだろうなと感じました。

 

能力がある人はほかのところで勝負しようとしない

西川がいつからか金髪でなくなったという話で出てくる言葉です。ここに賭けると思った人間は、見た目とかほかのところに気を使っている場合じゃなくなるから、髪の毛の色にも気を使わなくなる、という話でした。ちなみに西川はバッティングにカッコよさを求めるのではなく、相手投手に何球も投げさせて、全速力で走って、嫌がられて、という自分の長所を使ってチームに貢献するのがいいと悟りだしてから、髪の毛の色が金髪でなくなった、とか。なんとなくわかる。

 

日本一は目標だが、目的ではない

最高のチームにするのに日本一は必要条件、というのが無意識にとらえていたことだったので、この言葉を見たときに、日本一になれなくても目指す最高のチームにはなるんだな、とふと感じました。このように、無意識に必要条件と思っていることって、世の中にたくさんあるような気がします。